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●アキレスと亀

アキレスと亀オオブタさんと観に行こうとしたのですが、コチラを観ようかと声かけるとオオブタさんの目がどよんとしたので、二人で行くことを諦め、、一人で鑑賞。
観てとてつもなく切ない気持ちになってしまった作品。それだけに誰かと観たあとに語りたかった内容だけにオオブタさんが居ないことが寂し語ったですが、、、ハリウッドな映画が大好きなオオブタさんは喜ばないタイプだから、それはそれで良かったのかしら?

劇場で回りの反応みてもかなり評価が割れていた感じ。どう観るかによって内容も変わってしまうし、好き嫌いも別れる作品だと思います。


【ストーリー】絵を描くのが大好きな少年・真知寿(吉岡澪皇)は、自宅を訪れた画家に自分が描いた絵をほめられて、赤いベレー帽をもらう。真知寿は、その日から画家になることを夢見て毎日のように絵を描くようになる。そんなある日、父親(中尾彬)の会社が突然倒産して両親が立て続けに自殺を図ってしまい、真知寿の人生は暗転する。(シネマトゥディ)



大学時代、デザイン関係の授業の教授がとにかく基準がよく解らない先生でした。
授業中に指示されて一つ何かを作り、出来た人から先生に見せて評価してもらい、C以上の評価をもらったらその講義は終わり、以下だとやり直し、そして授業時間いっぱいまで頑張り、授業終了時の評価がその授業における成績という形だったのですが、不可をもらい「ラインに遊びがないからつまらない」と言われ、作り直してもっていくと「ここのラインはすっきクールにしたほうがいい!」と間反対の事を言ってくる。人によっては、「グレーの洋服着ているようだから駄目なんだ」と訳分からない所で評価してきたり、とそういう感じの授業でした。
しだいに皆解ってきて、とりあえず作品を真面目につくって並ぶ、そして不可をもらったら席に戻らずそのまま列の最後尾に再び並ぶ。すると、、何故か、2回か3回で、不可だった作品が「こんどはいいねぇ」とC以上に評価に変わるんですよね。そんな調子の授業だったので、、デザイン感覚というより世の中にある不条理さを学んだ授業となりました。

まあこれは極端な例ですが、、、
人間の創作物の中で、もっとも評価が難しいのって、絵画・彫刻なのではないでしょうか?
直感で判断すればいいので単純といったら単純なのかもしれませんが、時代や世相また個人の気分などに左右されるために、基準が曖昧な部分が多い所が困った所です
取り分け、現在アートというのは素人には本当に判断が難しいです。
美というものが、人を感嘆させ心地よくさせるものから、いろんな意味で衝撃を与えるものも美であるとされ、、排泄物をアクリルで固めたものまでもアートと言われるような現代において、何が素晴らしく何がくだらないのかというのは、いかに声の大きい人に『面白い!』と言わせたか、多くの人にウケたかが評価の基準になってしまっているように感じます。
そんな時代に、クリエイターとして生きている北野武監督、創作者としての生き方に悩みを抱えてきているのかな?というのを感じる、前作とコチラの作品。もしくは、自分の作品を、高尚な芸術として祭り上げ、とたんにコメディアンから偉大な芸術家だと態度をかえてきた世間を皮肉ている所もあるのでしょうね。

この『アキレスと亀』売れない画家真知寿の半生を描いた物語。
一途に自分が世間に認められるという芸術というものを模索し迷走する真知寿。
主人公である真知寿と彼が作り出した作品をどうどう捕らえるかで、違った物語になるのではないでしょうか?
才能があるのに認められず、ただ一人の理解者である妻と頑張っている物語とみるか、、、才能ないのに馬鹿みたいに取り憑かれて芸術に生きる男とそれに連れ添う妻の話とみるか、、。
隣に座っていたオバサン二人は後者ととったようで、彼のとる奇行ともいえる数々をギャグととり声を揚げておかき食べながら笑っていました。
そしてコブタはその隣で、、どんどん物語にせつなくなっていました。
感情表現が下手で、絵を描くことでしか自己を表現できない真知寿、何かを表現したいという思いをうけとめるながら、同じく真知寿が求める芸術に取り憑かれている妻の様子、微笑ましいといったら微笑ましいのですが観ていてなんか胸が締め付けられるように苦しくなってきました。

別に芸術に縁ないし、この行動って理解できないという方もいるかもしれませんが、人間誰もがクリエイティブな方向でなくても自分を存在意義を証明するために、自己表現の術を模索しているものなのではないでしょうか?言葉を発し、表情をつくり自分の存在を世界にアプローチしていく。そのアプローチの為の手段や表現方法をかえつつ模索していくというのが人生だと思います。

コメディアンとしての地位を築いたビートたけしが、映画というジャンルに踏み込んだときに、目指していたのではなく『巨匠』とか『世界の北野』ではなく、多分ビートたけしから北野武に戻ることだったのはないでしょうか?
世間の印象で全てを判断されてしまう芸能人である、自分自身、示したい自分、世間で評価をつけられている自分、それらのズレを修正するために、最近の映画は作られているのではないのかなと思ってしまいました。


アキレスと亀グラフ

評価 ★★★☆☆

監督・脚本・編集・挿入画 北野武

出演 ビートたけし
樋口可南子
柳憂怜
麻生久美子
中尾彬
伊武雅刀
大杉漣
円城寺あや
吉岡澪皇
徳永えり
大森南朋

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この記事に対するコメント

睦月さんへ

芸術のものなさいは 一本じゃないそこが難しいところですよね。

だからこそ、その時代はもてはやされていたけど時代がかわって凡才とされたり、死後に爆発的に評価されたりと、その絵自体は変わらないはずなのにそこまでの扱いがかわってくる本当に不思議なものです。

でも、新婚旅行でスペインいってオオブタさんがゲルニカの本物をみて、「これはやはり凄い」とピカソの凄さを初めて実感したよか。
だからこそ、凄い作品にはそれなりのオーラがあると思ってます。
なので芸術は、人に流されるのではなくて、自分の感性で判断して私が何か感じて凄いとおもったらそれを他のsんでいけばいいなと思ってます。買うわけでもなく資産がどうだとかいう事も考えていませんしね~

【2008/10/06 12:41】URL | コブタです  #-[ 編集]

こんにちわ

人間の感性が、絵とか彫刻とか具体的な
形で表に出たものが『芸術』なのでは?
と私は思ったります。
すると、『芸術』なんてものはきっと、
人の数だけ存在するといっても過言じゃ
ないとも思う。

芸術のものさしは、一本だけじゃないと
思うのです。他人が評価するものでも、
それに惑わされて生み出すものでもない
はずだけれど・・・でも、誰かに認められ
て『芸術』は初めて『芸術』として成立
するという現実も皮肉ですよね。

淡々とした作品でしたけれど、
なんだかいろいろなことを深く考えさせら
れる1本でございました。

【2008/10/03 17:57】URL | 睦月 #-[ 編集]

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アキレスと亀

【映画的カリスマ指数】★★★☆☆  目指し追いかけ辿り着く・・・『芸術』と言う名のもと   カリスマ映画論【2008/10/12 23:42】


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