
久しぶりにファンタジー映画に魅せられた。
ここ数年ファナンタジー世界的に流行しファンタジー映画も多い。
しかしこの作品はそういった映画とは趣を異したダークな要素を含んだ大人のファンタジー。
アレコレ観て色々考えるより前に、映画の世界に引き込まれる。
オフェリアは新しい父親に会う為に訪れた屋敷の近くにある迷宮で牧神パンと出会う。彼はオフェリアが魔法の国のお姫様であることを伝える。しかし人間世界にいすぎた彼女が魔法の国に戻るには3つの試練を乗り越えなければならない。オフェリアは魔法の国のプリンセスになつために試練に挑んでいくという始まりは一見普通のファンタジー。
何が他のファンタジーと違うのか!
すべてがリアルで生々しい。
ファンタジー要素を盛り上げる異形な幻想の住民のテクスチャがリアルで美しいというだけではなく、、
1944年のスペイン内戦後独裁政権下という舞台設定、そんな世界を生きてきた登場人物と彼らが置かれた環境とファンタジーでありながら現実をしっかり描かれている。
またその現実世界が他のファンタジーでは見られないほど悲しく残酷。
内線は終わったとはいえ、独裁政権の軍とゲリラの戦いままだ続いており、主人公オフェリアのすぐ近くで、軍とゲリラによって血生臭い戦いが繰り広げられている。
そんな現実から映し出された幻想世界が夢と希望に溢れただけの甘い世界であるわけもなく、美しいながらにドロドロして血の香りに満ちた何処か気味悪くダークな要素を含んでいる。
実際痛いシーン恐いシーンもかなり多く、そういった映像が苦手はコブタが思わず目をそらす事もかなりあったものの映像の素晴らしさにすっかり魅せられてしまった。
ファシズム思想に覆われたどこか退廃的な舞台の中で、深い森野中の大きい古い屋敷、異形の存在、裂かれた肉、流れる血などの体液と、グロテスクな要素をふんだんに含んでおり、それらが映像の美しさをさらに際だたせていて、またシッカリした舞台設定が世界に厚みを与えていた。
またそういったシッカリした舞台という土台で動いている登場人物がそれぞれ秀逸!
この恐怖に満ちた世界の中で様々な事情を抱え生まれどう生きてきたというのがシッカリと観客に理解出来る描き方をしているために、存在感がありそれぞれが、生暖かい血をもって生きている。そこには善悪といった括りではなく、それぞれが自分の想いに対してどう行動していくかが描かれていく。
ファシズムという思想の中で、父への屈折した愛情を抱き続け、ナルシスティックに父息子の愛情という幻想の中を抱き続ける義父ヴィダル大尉。
寂しい現実から逃げ、愛する夫がいる不安もなにもない家族という幻想を抱き、ヴィダル大尉に依存していく母親カルメン
母親に構ってもらえない寂しさと義父への恐怖から逃げだすように幻想の世界へと踏み込んでいくオフェリア。
そしてその近くに、ファシストな狂気と様々な幻想に満ちた屋敷の中で数少ないまっとうで健全な神経をもち自由という理想のを持ちメイドとしてスパイ潜入しているメルセデスを配置しているところがまたいい。
オフェリアの抱く幻想だけでなく、それぞれにとっての現実と幻想が絶妙に入り組んで、見事なラビリンスを作り上げている。
この映画はオフェリアの幻想部分をどう解釈するかで、彼女の行動の数々、ラストの意味はまったく違ったものになる。どちらの解釈をも許容し、それぞれの解釈に違った味わいと深みをもたせてくるところもこの映画の深さだと思う。
とにかくコブタのツボにはまった作品。
ただ、、ファンタジーではあるものの、見てワクワクするとか感動する!とかいった内容ではなく人間の醜い部分悲しい部分を描いた内容なので、見る時はある程度の覚悟が必要。

某番組で、精神科医の名越康文さんがこの映画を紹介して「ファンタジーは悪夢である」という言葉を述べていた。幻想や空想は現実逃避から始まり、結局逃避からくる幻想が人を幸せになるわけはなく、結局辛い現実に幻想は犯されていくという意味らしい。なるほどこの映画はこの一言に尽きるなと見終わったあと 妙に納得した。
評価 ★★★★★


監督 ギレルモ・デル・トロ
出演 イバナ・バケロ
セルジ・ロペス
マリベル・ベルドゥ
ダグ・ジョーンズ
アリアドナ・ヒル
アレックス・アングロ